農林水産省の広報誌「aff」が2018年1月号でジビエを特集した。まずは引用させていただく(P.5 下段囲み記事から)
ジビエの中でも捕獲数の多いシカ肉、イノシシ肉の栄養価をそれぞれ牛肉、豚肉と比較したのが上の図です。
イノシシ肉は鉄分が豚肉の4倍で、ビタミンB12が3倍です。シカ肉もカロリーが牛肉の半分で、脂質が5分の1、しかも鉄分は1.7倍です。中でも注目される成分がシカ肉に含まれる「アセチルカルニチン」です。アミノ酸の一種であり、脳機能向上や疲労・ストレス軽減などの効果があると報告されている成分ですが、シカ肉には牛肉の2倍も含まれています。アスリートにも適した食材として注目されており、ダイエット食や高齢者の介護食としての利用も期待されます」(原文のまま)
この記事に着目したのは当倶楽部会員の軽部光氏だ。彼は健康管理士として長年、認知症患者の増加を不安視しつつ研究を重ねてきた。「エゾシカ肉は高齢者施設で多用すべきだ。認知症の予防に役立つ」とその効用を日頃から語ってきた人である。私たちは肯定も否定もできなかった。根拠となる確かな知識がないためである。だが、今回の情報の出所は国の広報誌だ。彼の自説を裏付ける一端となりうる可能性もある。ネット情報を手がかりに軽部説の深堀りをしてみたい。
軽部氏の主張概要は以下の通り。
高齢になると脳の萎縮が始まる。何故なら、神経細胞の接合部のシナプスに充填されているべき「セロトニン」が加齢と共に体内生産ができなくなり、減少するからだ。
セロトニンの体内生産は脳障害を防ぐのに欠かせない物質。セロトニンを作るのはタンパク質のアミノ酸、更に言えばアミノ酸からできるトリプトファンである。
高タンパク(アミノ酸豊富)なエゾシカ肉を食べることでセロトニンの体内生産が活性化すると考えられる。
第1のキーワード「セロトニン」
セロトニンは精神の安定に必要不可欠なホルモン。脳障害を防ぐには欠かせない重要な存在で、セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れて、暴力的になったり、うつ病などの精神疾患を発症する。セロトニンは自然界の動植物に含まれているが、人体に存在するのは約10ミリグラム程度。そのうち約90%は腸内に、血液中に8%、残り2%が脳内の中枢神経に存在する。僅か2%ではあるが、人間の精神面に与える影響は大きい。
第2のキーワード「トリプトファン」
セロトニンは腸を中心に全身に存在しているが、精神に作用するセロトニンは脳内にあるセロトニンだけ。体のバリア機能により、腸のセロトニンは脳内には入ってこられないため、脳内で使われるセロトニンは脳内で作る必要がある。原料になるのはトリプトファンという必須アミノ酸だ。必須アミノ酸とは自分の体内で作ることが出来ず、食事から摂取しなくてはならないアミノ酸である。アミノ酸はタンパク質に含まれる。つまり、セロトニンを作るには、蛋白質を含む食事から摂るしかない。
蛋白質を含む食物は肉や魚、豆など、動物性のものと植物性のものがある。独立行政法人「農畜産業振興機構」の広報誌「畜産の情報2017.9月号」によるとトリプトファンは植物性のタンパクには少なく、食肉や魚の肉に多く含まれるとある。更に同誌は「うつ病の患者ではセロトニンが減少していることが示される。そのために、セロトニンの原料であるタンパク質を摂取する必要があり、その中でも、特に食肉を摂取することは精神的な安定をもたらす上で重要と推察される」(P.61より引用)と調査結果を報告している。だとすれば、食肉の中でも高タンパク(アミノ酸豊富)なエゾシカ肉を食べることでセロトニンの体内生産が活性化するという軽部氏の仮説は否定できないように思う。
*トリプトファンが単独でセロトニンを作るわけではなく、ビタミンやミネラルの助けがあってこその合成。トリプトファンが脳内へ到達するにも、炭水化物や脂質、ミネラルやビタミン類など多種多様な栄養素が必要。タンパク質を多く含む食材を中心にバランスよい食事をすることがセロトニン合成に効果をもたらすことはいうまでもない。
さて、冒頭に挙げた「aff」で知った「アセチルカルニチン」についても、もう一段の知識が欲しい。ネット上から得た主な情報は以下の通り。
・アセチルカルニチンとは、カルニチンのアセチル化された形体であり、通常はL体で存在する。天然のサプリメントで植物や動物の中に存在するアミノ酸である。(Wikipediaより一部引用)
・体内のカルニチンのうち約1割はアセチルカルニチンの状態で存在する。
・人間の脳には血液脳関門(けつえきのうかんもん)と呼ばれる障壁があり、殆どの物質はこの障壁を乗り越えることができないが、アセチルLカルニチンは血液脳関門を通りぬけて脳内に到達できる物質。アセチルコリン量を増やすことがわかっていて、脳内での働きが期待されている。
※アセチルコリン:不足すれば集中力や記憶力が低下、脳に影響を及ぼし、アルツハイマー病になる可能性。
・アルツハイマー病初期症状の改善に効果がある可能性があるとして世界中で研究が進められており、ブレインフードとして応用され始めている。
米国ではカルニチンのアルツハイマー病に対する研究が数十年前から行われていて、アセチルカルニチンがアルツハイマー病の進行を遅らせるこ
とが臨床試験で判明している。
・アルツハイマー以外の認知症に対しても有効性があると示唆されたデータもあり、脳血管障害による認知症の進行を抑える働きも期待できる。
「認知症を引き起こす主な病気」
①変性疾患(脳の細胞がゆっくりと死んで脳が委縮する)
アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症
②脳血管性認知症
脳梗塞、脳出血、能動脈硬化などのために神経細胞が死ぬことで発症
③その他
クロイツフェルト・ヤクボ病、AIDSなどの感染症やアルコール中毒など。
※最も多いのはアルツハイマー病で50%、次いでレビー小体型認知症(15%)、脳血管性認知症(15%)、その他20%。
認知症に怯えているのはわが国だけではない。先進国は軒並み高齢社会だ。ちなみに、アメリカでは認知症が死因の第6位。92歳で亡くなったレーガン大統領の死因はアルツハイマー病。イギリスのサッチャー首相が亡くなったのは87歳。脳血管性認知症だった。2人とも国のトップとして普通の人の何倍も頭を使っていた筈だが、認知症発症を避けることはできなかった。
最後に・・・ シカ肉には、鉄分やカロリー等、優れた部分が多い他、脳機能向上にも影響のある成分が存在していることが判明した。しかし、現在はジビエについての情報は日進月歩。エゾシカに関しては、まだまだ分からない部分があることも事実だろう。今後、脳機能向上に効果ありと科学的に裏付けできる成分が更に発見されてくることを祈るばかりだ。 地産地消できるジビエが認知症患者予備軍の進行を防ぎ止めることが出来るなら、彼らは、厄介者どころか国の宝だろう。なにしろ、我が国の65歳以上の認知症患者数と有病率の将来推計についてみると、2012年には認知症患者数が約462万人と65歳以上の高齢者の7人に1人(有病率15%)だったが、2025年には約700万人、5人に1人となると見込まれているからだ。(平成28年版高齢社会白書)
追記:2018.5.20 女優の朝丘雪路さん死去との報道あり。翌日のワイドショーで死因となったアルツハイマーについて語られたが、アルツハイマーを治す薬はあるものの、血液脳関門に阻まれて脳内に入っていけないのだというコメントがあった。上記したようにアセチルカルニチンはこれを通過する。これがシカ肉には、牛肉の2倍。
追記:2018.6.15 認知症の6割以上を占めるアルツハイマー型の初期病理変化として脳内に沈着するアミロイドベータ蛋白。この産生を抑制する物質や除去する抗体が近年開発されてきたという。対症療法薬から根本治療薬の開発も期待がかかる。しかし、絶望感などからか、認知症高齢者462万人(厚生労働省推計)のうち、専門医による診断を受けない人も少なくないとみられる。日本認知症予防学会では発症後に症状の進行を緩める取り組みなどの重要性を指摘する。平均寿命が延びることで認知症の人の数は今後も増えると見込まれる中、国は地域全体の連携構築を進めている(某政党系新聞コラムより引用)
追記:2019.1.15
1.アルツハイマー病関連のたんぱく質蓄積で…認知機能正常でも学習効果喪失
アルツハイマー病に関連する異常なたんぱく質が脳に蓄積している人は、認知機能に異常がなくても学習効果を発揮できないとする研究結果を、東京大教授の岩坪 威たけし さん(神経病理学)らのチームがまとめた。アルツハイマー病の早期発見と治療につながる可能性があるという。
調査は2008~14年、認知機能が正常な60~84歳の男女154人に実施。19人の脳で、アルツハイマー病患者にみられる異常たんぱく質「アミロイド βベータ 」の蓄積が確認された。
チームは対象者全員に、現在の日時や場所などを問う基本的な認知機能検査を3年間、半年から1年ごとに計5回受けてもらった。その結果、アミロイドβの蓄積がある人は、ない人に比べて点数が伸びなかった。
アミロイドβに加え、もう一つの異常たんぱく質「リン酸化タウ」が増えている患者は、植物や動物の名前を挙げさせる検査の点数が良くなかった。いずれも、学習効果の喪失が原因とみられる。アルツハイマー病は、認知症患者全体の半数以上を占める。今回の結果を受けて、岩坪さんは「潜在的な認知機能の障害を判定する新たな基準を作り、早期の診断と発症予防につなげたい」と話している。(読売新聞 2019年1月7日より抜粋)
2.体によくあるカビが脳に浸透して認知症を誘発
喘息を引き起こすカビが、血液や空気を通じて脳に浸透して認知症を引き起こす可能性があるという研究報告が出た。米国ベイラー医科大学のデビッド・カリー教授チームは、人体によくあるカビが哺乳類の脳に浸透して、記憶力が低下したり、認知症が現れる現象を動物実験で明らかにした。研究結果は、国際学術誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」の4日付に発表された。
カリー教授チームは、口と腸によく生息する「カンジダアルビカンス」というカビを、マウスの血管に注入した。その結果、脳に異物が入ることを防ぐ血液脳関門(BBB)をカビが通って脳に炎症を起こした。カビが脳に入ると、脳の中の異物を除去する「警察」の働きをする免疫細胞が取り掛かって駆除する。この過程で、かさぶたのように固まった老廃物が形成され、これが記憶力など脳の認知機能を低下させるという。このカビは空気中にあるが、脳に入る可能性がある。
カリー教授は、「カビはアルツハイマー病、パーキンソン病、多発性硬化症などの複数の神経疾患の発症と関連がある可能性が高く、発症過程と治療方法について研究する計画だ」と明らかにした。 (東亜新聞 2019年1月5日より抜粋)
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