人類は原始時代から食料を得るために狩猟を行っていた。獣の肉だけではなく、皮や毛も利用していた。毛皮は寒さや動植物による外傷などから身体保護するために身に纏っていた。また装飾品としても用いられた。古代においては、動物界の王者であるライオンや虎、豹の毛皮は富と権力・威信を示すステータス・シンボル(身分標識)ともなり、王族や僧侶らが身に着け、また敷物にした。
古代中国では、身分や地位によって裘きゅう(かわころも)の毛皮の種類が規制されていた。狐や貂の毛皮は天子や上級役人のみが着用を許され、下級役人は仔羊、庶民は安価な犬、羊、鹿などの毛皮を着用していた。日本においても、927年に編纂された「延喜式 弾正台」によれば、豹と貂の毛皮を着用できる者は高官のみであった。また「日本書紀」(720年編)には、大鹿が海から来たが、よく見ると、角のある鹿の皮を身に着けていたとある。
刈り取られた動物の毛は圧縮して布状にした毛氈もうせん(フエルト)あるいは糸として織った毛織物として利用されている。主要な素材は羊毛であるが、その他に山羊毛、駱駝毛、兎毛等がある。
筆の素材としても獣毛は古くから使用されていた。中国河南省の殷墟から墨書の陶器片や戦国時代の楚の遺跡から兎毛筆が発掘されている。また前漢の「史記」に、兎毛の筆が記されている。
「日本書紀」には400年頃に百済から経典や典籍がもたらされ、610年には高句麗から絵具や紙、墨がもたらされたとあり、これらの時代に漢字が使用され、筆の製法も伝えられたと考えられる。空海(774~835)は唐で学んだ造筆法を基に筆工に作らせた狸毛の筆を嵯峨天皇と皇太子に献納している。「延喜式」には、ほぼ全国から毎年5,000余管の筆の貢納があり、その種類は不明であるが、大宰府だけは兎毛筆と鹿毛筆が各560管と記されている。宮廷内でも造筆が行われていた。
大部分の動物毛は太くて長い上毛(刺毛、ガードヘアー)と細くて短い下毛(綿毛、ウール)から構成されている。図1はエゾシカ革の表面(銀面)を示しているが、大きな毛穴の周りに小さな毛穴があり、それぞれ上毛と下毛に相当する。毛穴の模様は動物の種類によって異なる。鹿の様に、冬毛と夏毛が換毛する場合は、冬毛が夏毛より長くて太い。一本の毛はたいてい円筒状であり、中心部に毛もう髄質ずいしつ(メデューラ)があり、それを毛皮質もうひしつ(コルテックス)が覆い、さらにその外側を鱗片が瓦状に重なり合った毛もう小皮しょうひ(クチクル、スケール)で覆われている(図2 毛の構造)。この構造には動物種特有の形態学的特徴がある。鱗状の毛小皮紋理(スケール模様)は、花弁状、横行状、横行波状、モザイク状、山形状、針山状などに分類される。毛髄質の空洞構造は、格子状、梯子状、網目状、スポンジ状、管状、無髄などに分類される。毛皮質は毛小皮と毛髄質の間に存在する角化繊維細胞であり、毛の形状や物性などを決定する。毛の横断面形状は、円形、楕円形、ダンベル形などに分類され、毛の長さ、太さ、毛色も動物種によりそれぞれ特徴がある。上毛の方が下毛に比べて形態学的特徴が出現しやすい。
奈良時代の写経所の活動を示す正倉院文書によれば、狸毛筆は主に経巻などの表紙に書く題書用、兎毛筆は公文書や経典の本文用、鹿毛筆は文字用ではなく、もっぱら経巻などの界線用に使用されたとある。鹿毛の筆は昔の中国でも日本でもよく使われ、筆と言えば鹿毛と言うほどであった。当時の筆の価格は鹿毛筆が安く、狸毛筆がその数倍、兎毛筆が高く十数倍ほどであった。
鹿毛と狸毛、兎毛の上毛の形態学的特徴は次のとおりである。
鹿毛:スケール模様は横行状、毛髄質は空隙の多い格子状、毛皮質は非常に薄く、毛は折れやすい。毛は太く、寸胴状で、横断面は円形である。毛色は背部の茶毛と尻部の白毛があり、茶毛の毛先は濃茶色で、根元にいくにつれて薄茶色になる。毛根部は毛髄質がなく、細くなっている。
狸毛:スケール模様は横行波状、毛髄質はスポンジ状/格子状、毛皮質は比較的薄い。毛はやや太く、紡錘状で、横断面は楕円形あるいは円形である。背部は茶毛、尻部は白毛となっており、背部の茶毛は毛先が黒色、楯状部が白色、基底部が茶色となっている。
兎毛:スケール模様は横行状、毛髄質は梯子状、毛皮質は非常に薄く、毛は折れやすい。毛は細く、紡錘状で、横断面はダンベル状である。毛色は白色である。
(参考文献 竹之内一昭,奥村章他:毛材質調査報告,正倉院紀要, 37 (2015) P. 1.)
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