◇◆◇鹿皮の鞣し◇◆◇


(元北海道大学農学部 竹之内一昭) 2015.12.22


エゾシカ皮の活用 2.鹿皮の鞣し


 エゾシカは主要な食料であったが、その皮は衣料や防寒具として利用されていた。皮は剥いだままで放置しておくと腐敗してしまう。腐敗防止の最も簡単な方法は水分を蒸発させて乾燥することである。生の皮は60~70%の水分を含んでいる。乾燥により、10~14%にすると、細菌が繁殖できなくなり、保存できる。しかし、硬くなりごわごわして利用しにくい。


 アイヌは鹿皮を毛皮として利用する場合は、まず裏側の肉片や脂、あま皮(皮下組織)を除去した(裏打ち)。図のような銓せん刀とうすなわち古くは石や骨を用い、後に刃の鈍いものを用いた。生乾きの状態で、目の粗い砥石で擦り、さらに揉みながら乾燥すると、柔らかい毛皮となる。擦りと揉みを繰り返すと一層柔らかくなる。これをそのまま敷物として使用できる。チョッキ(ユクウル)は首のところをくり取り、前足の付け根の部分を肩にかけ、そこに紐をつけ、脇の下に付けた紐と結ぶものである。鹿猟には鹿と間違えられないように、犬毛皮を着用した。


 女性の肌着(モウル)にも鹿皮が使用された。皮を裏打ちし、乾燥した鹿皮を夏1週間ほど便所の中に漬け、その後、水で洗い、毛を脱いて揉みながら乾燥すると、柔らかい皮となる。これを縫い合わせて製作した。形は襦袢のように袖があり、着丈が長いが、胸から下は縫い合わせてあり、頭から被って首を出すようになっていた。 


 鹿の膀胱も水洗して、揉みながら乾燥し、空気を吹き込んで膨らませて容器にし、氷嚢や水筒として利用した。これらの毛皮や皮は機械的に揉んだりして柔らかくしているが、真の鞣しすなわち化学的処理がなされていないので、雨や汗などの湿気に弱く、湿った状態で放置すると腐敗する。


                                   「銓刀の推移」               裏打ちと脱毛(16世紀)

 

               A, 旧石器時代;B, 紀元69年以前;C, 現在.

 


平安時代の宮中行事や制度を記した古代法典「延喜式えんぎしき」には、鹿革製造について、毛を除去し、晒して乾燥し、肉を除去し、削り、脳を擦り付け、さらに染色、燻煙するとある。脳の動物種は記載されていないが、他の箇所には、馬の脳が貢納物にあげられていることや、遺跡や平安京から出土した馬の頭蓋骨の後頭部が人工的に割られていることなどから、馬の脳が鞣しに使用されていたと考えられる。


 現在では、脳に含まれるリン脂質や煙に含まれるアルデヒド(ホルマリンの類)が鞣し作用をしていると理解されている。一般的にそれぞれ脳漿のうしょう鞣しと燻くん煙えん鞣しと称している。江戸時代の書物にも、鹿のやわら(脳を腐らせたもの)を使用するとある。 


 後には牛の脳も使用された。アメリカインデアンの鹿革製造では、1枚の鹿皮に1頭分の脳を使用していた。脳漿鞣しの革は白く、植物の葉や根、花などの汁で染色された。後に顔料や染料が使用された。燻煙処理には、松葉や松根、藁が使用された。燻煙処理は染色効果もあり、鼠色や茶色系の革を一般に熏ふすべ革かわと称する。 


 1900年代後半以降、脳漿鞣しは脳の刺激的な匂いのため、代わりにホルマリンを使用するようになった。外国では、古くから魚油が使用されていた。北海道では、明治の初めに官営の製革所が設置され、鹿や熊の毛皮ならびに牛や馬の革が多量に製造されるようになった。鹿皮は一般的には毛を表面(銀面)と共に刃物で削りとり、鞣しをしてビロード状の柔らかい革に仕上げる。最近、石灰漬けで脱毛し、銀面を残した状態で合成タンニンや鉱物鞣剤などを用いて鞣すこともあり、それを衣料や手袋などに利用している。 

 

(参考文献:萱野茂「アイヌの民具」、藤原忠平等「延喜式」)


シカ皮を