2講目は函館アイヌ協会会長の加藤敬人さんのお話を伺った。
北海道の先住民であるアイヌは、古来よりエゾシカを食用と衣類などでエゾシカを生活の場面で大いに活用してしてきた経緯がある。観光産業の観点から、アイヌ文化を表現したエゾシカの革製品が、かつて流行した熊の木彫りに替わる第2のブームになる可能性を秘めており、ご自身も函館でアイヌブランドの革製品やアイヌ文様の刺繍のバックの販売しているなど、貴重なお話を伺った。
古来、アイヌはエゾシカと共に共生してきた。棄てるものは何も無い。資源を大切にするというのがアイヌの考え方であり、アイヌの文化だ。いま、我々の考え方に共感する人は増えている。高度経済成長期にはアイヌの木彫りの工芸品(特に木彫り熊)は、北海道観光土産として人気を博し、民芸品(時には芸術品)としての不動の地位を確立してきた。昭和30年代から50年にかけて、鮭を口にくわえたクマの木彫りは日本中、いや世界中で売れたものだ。だが、交通機関の発達で、北海道は本州や世界から遠い所ではなくなった。一生に一度は行ってみたい憧れの地でもなくなった。日帰りが当たり前の時代になったのだ。それと共に木彫りの時代も下火になっていった。そんな中、私が考えたのは、エゾシカ皮の活用である。シカ皮は柔らかいのに強度がある。木彫りに代えてエゾシカ皮を民族を代表する工芸品にできないだろうか。何よりもアイヌ民族として、アイヌ文化を大切にしたいのが私の願いだ。
だが、困ったのが道内には皮を鞣すところがないことだ。皮の流通ができないか。3年間走り回った。道南に一ヶ所だけ見つかった。だが、此処はエゾシカの脂を取って本州に送るという作業だけ。和歌山、姫路と鞣しをしてくれるところを探し回った。 東京にもアイヌはいる、その数5000~6000人。差別のせいで北海道を離れたのではない。食べるためである。残ったアイヌの仲間たちの平均年齢は65歳を超えた。アイヌ文化が無くなっていくのは辛い。エゾシカをアイヌの新しい文化としたい。いや、アイヌだけではない。北海道の文化とするべきである。現代の技術は、シカ皮を固くしたり、柔らかくしたり如何様にもできるほど進んでいる。
命を頂いて有効活用するのだという視点を忘れたくない。当然のことであるが、当然のことをするにはお金がかかることも事実。ハンターに巧みに銃弾を当ててもらわなければならない。腸から異物が出ないようにして貰いたい。さて、有効活用というのは、あくまで出口の話。エゾシカでもヒグマでも何故人里に下りてくるようになったのだろうか。よく考えてほしい。
明治時代よりも北海道の人口は増えている。人間が野生側に行ったのだ。近づきすぎたのである。境界線のルールが判然としていないのが原因だ。
森林の活用を抜きにして、エゾシカもクマも語れない。森林を保護管理することで恵みは生まれるもの。クマは木の実に恵まれれば冬眠するのだ。それをやろうではないか。現在、東京でエゾシカ肉を扱う店は100件以上ある。道外でも頑張っている店はある。
13万頭の捕獲数のうち、10万頭は廃棄されている。皮は燃えにくく、廃棄する場所に困っているのが現状だ。いま、棄てられている10万頭のエゾシカの肉がそのままスーパーに入れば、被害はゼロに近くなるだろう。とにかく、道内に鞣し施設を作ることが先決。作るには土地代を別にしても3億円はかかる。国土交通省、厚生労働省の認可が取れないこともネック。だが、いちいち東京に送るのは非効率である。官庁、行政の力も必要だ
ハンターを増やす方法も考えなければならない。ハンターもルールを守るべきだ。アイヌは自然に感謝しつつ生きてきた。アイヌとは「人間」という意味である。オオカミがエゾシカを古潭まで運んだ。「お前たちも食えよ」ということ。だから、アイヌはオオカミを神として崇めてきた。クマの毛皮や肉は神の国から頂いたもの。だから、危険を冒して獲る。シマフクロウは古潭を守る神。蝦夷フクロウは村を守る神。この自然や動物に対する敬虔な思想を残していきたい。「皮アート」は、アイヌだけの文化じゃない。北海道の文化なのだ。エゾシカ皮の利用で、北海道から世界に飛び立つべきではないか。
公益社団法人 札幌消費者協会「北海道エゾシカ倶楽部」 代表 武田佳世子
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