◇◆◇エゾシカセミナー3  2015.11.15(日)


「オオカミと日本文化」石川祐一氏 (株)ぷらう  代表取締役社長


エゾシカが爆発的に増えた原因は、温暖化、休耕地の増加、木材が使われなくなったことで森林が手入れ不足になった、動物たちの住処を人間が開拓しすぎた等、色々と取沙汰されています。なかでも、オオカミという天敵が絶滅したことは大きな原因だったと言われています。だとすれば、エゾシカとオオカミの関係は切っても切れない仲。エゾシカをめぐる周辺知識として知っておきたいもの。何故、オオカミは日本から姿を消したのか、この辺の事情を知るために北海道大学のフェローでもある石川裕一様にお話を伺いました。


 

1.動物と人間との関係

そもそも日本は八百万の神を信じる自然宗教が中心であった。

古事記の中に出てくる、自然崇拝ならびに人間はその一員であるという認識=仏教伝来に伴う、動物保護の精神・道徳の伝播肉食の回避・および血の不浄に対する意識 


江戸時代の馬に対する対応

 徳川綱吉の政治における動物保護の実態。(1646-1709)

 (A)悪法といわれる「生類憐れみの令」は世界に稀な動物保護法令であり、17世紀に人間社会においてこのような法律を制定している国は世界にないものである。日本人の根本的な思想である、自然崇拝思想に仏教の思想が加味されて稀な考え方が既に江戸期に出来上がっていた。しかしながら、人間つまり人命よりも動物の保護を優先したという綱吉の政治の歴史的評価は大変に低く、天下の悪法と今に続くまで言われている。私は、文明国家として江戸幕藩体制が世界に冠たる国家であったと考える所以の一つとして、この綱吉の「生類憐れみの令」を上げることができると考える。


 この法令の起源は、「子供が綱吉に出来ないのは、前世の殺生の報いである。子供が欲しければ生類憐れみを心がけ、特に綱吉が戌年生まれということで、犬を大切に」この通説は、隆光という江戸の僧の説であるが検証できていない流布の一つであって、必ずしもこの法令が綱吉の思いつきのようなものではなく、むしろ同じ時期に発令されている「鉄砲改め令」などと合わせると、積極的な武器放棄させ、動物にいたるまで幕府の庇護・管理下に置いて幕藩体制を平和時への移行政策の一環と捉える方が歴史的に正しいと考える。


(B)綱吉は、犬ばかりではなく、馬の保護、鷹狩りの制限から廃止への道(身分制度との関係で完全な廃止とはならない、鷹狩りによる獲物の贈答はその身分によって子のとなり、主従関係の制度と密接であった為、一般庶民がジビエを楽しむことは基本的に出来ない、つまり野生動物を殺して食べるのは大名などの武士階級でも特に上位のものにかぎられた。)棄て牛馬の禁止、など、鳥獣の保護に関しての法令が多々出されている。


(C)3代家光時代までは、将軍家はオランダを通じ、外来珍獣を求めていた時期もあるが、綱吉時代からは、生類を飼いならすことを規制することより、この手の珍獣の入手なども制限するようになり、基本的には禁止となった。これは、綱吉の財政再建などの一環としてとられた贅沢禁止を前提としている「生類の輸入禁止」であった。

 また、有名な犬殺しによる、死罪申し渡しの件も、綱吉が始まりではなく、各藩では既にこの時期以前から牛・犬の無駄な殺生並びに食肉を禁止している。馬はそもそも殺生、食肉の対象外であった点は興味深い。江戸期から既に犬の食用並びに飼育が禁止されていたことから、犬の野生化並びに犬の害が多々見られた。その結果、これして食べるということが多々あった、武士商人を問わず禁止事項となった。(一部鷹狩りの鷹のえさとしての犬の殺生もあったが、鷹狩り自体を制限から禁止へしたことで、もっぱら無頼の人間の食用となっていた)


(D)綱吉の仁政は、社会が安定する中で、殺伐とした戦国時代の名残を何とか払拭させる時代背景の中、日本古来の自然崇拝と仏教・儒教の外来宗教・道徳が加味されて、人間を含む動物を憐れむという道徳の浸透、強者が弱者を守る、されに人が動物と同じレベルで礼節、慈悲を持つ気持ちなど、世界史的には稀な政策であり、明治時代以降の資本主義競争社会の中では考えられない政策を行っていた。(この種の江戸時代の政策はすべて明治新政府の歴史認識の中では否定されている)江戸時代の様々な動物に対する対応

 江戸以前の日本人の動物感、花鳥風月とは?


綱吉時代の食禁止の魚介類(鮭・鮎・鱒以外ほぼすべて)

いか、たこ、キス、すずき、まぐろ、うなぎ、どじょう、はや、ふな、鯉、川え

び、わかさき、くるまえび、手長えび、いせえび、しばえび、かじか、いいだ 

こ、はぜ、さんしょううお、しゃこ、かに、ふぐ、貝類すべえ、その他、すべての肉食は基本的に禁止事項であった。ただし、朝廷の儀式に手行われるものは除いてい

る。

2.明治維新のインパクト

 一神教への転換・国家神道への道

 様々な弊害・迫害

 日本犬種への横暴 

 日本の神々に対する迫害 

 西洋文明による、肉食思想の移入による動物の飼育ならびに屠殺の実施

 鹿などの猟による異常な収奪

 アメリカ人の基本的な考え方は、人間中心主義であり、動物と人間の関係では

 人間が明らかに上であり、人間による動物の固体管理の思想が中心である。

 =明治維新以降の日本人の動物にたいする意識の変化

  

3.西欧文明絶対主義の限界

 デカルトの限界

 合理主義の限界

 アフリカ歴史からの視点

 動物園の本質

 

4.消費者保護とは?自然保護とは?

 今後の消費者運動はどのようになるか、論理的・合理的・効率的・収益中心の社会からの離脱 

 

5.オオカミ復活の意義

 鹿対策ではない

 西洋文明一辺倒の世界観からの離脱

 

6.平和主義日本のジャポニズムへの道

 草木国土悉皆成仏の思想の世界への伝播


21世紀は環境問題の世紀といわれているが、人間と動物の関係、人間と植物との関係においては、相変わらず、保護と駆除という施策が多く見られる。本来であれば、環境破壊を行ってきた人間がどのように、動植物と共生していくことが可能かという考え方を持つことが必要であろう。その背景には、やはり人間が日々生活していくうえでの、人生観・死生観・歴史観・自然観を確りともち、共生の哲学を身に付けることが不可欠と考える。自然環境の破壊への道の一つとして、生態系の破壊という問題があり、この問題と密接にかかわるのは人間の手による、動植物の種の減少または、絶滅であると考える。人間の営為の歴史的所産であることを忘れることは出来ない。人間は、自然から様々な恩恵を受けて、これまで発展してきたが、これは自然を犠牲にしてきていることは否定できない。しかし、ここでまた縄文の生活をするということではないが、意識としてこのままでは問題の解決にならない事は間違いない。このような状況の中で、動物と人間の関係を、江戸時代と明治時代に視点を当てることにより、一石を投じることができると考える。


 日本人にとって、明治維新による、意識改革はすさまじいものがあり同じように、動物にとっても大きな転換点となったように感じる。動物たちの明治維新は社会的にどのようなことになったか、今後の尚一層の研究が必要と感じます。