フェイスブックでトンボ柄と甲州印伝に関する素敵な情報を見つけました。投稿者の許可を得て写真と共に転載いたします。
トンボは、空中を俊敏に飛び回り、後ろ向きには決して飛ばない虫であることから、戦国時代の武将たちは「勝ち虫」と呼び、不退転(※)の精神を表すものとして、武具の装飾に用いたり着物の柄に使っていたそうです。
今でもトンボは勝利を呼び込む縁起ものとして、着物や和物の装飾品などによく使われています。私はトンボ柄の印伝(いんでん)を愛用しています。印伝とは、羊や鹿の皮をなめしたものに染色を施し漆で模様を描いたもので、今はバッグや名刺入れなどが作られています。印伝の中でも、山梨県の甲州印伝は、そして国が指定する伝統工芸品になっています。甲州印伝のトンボ柄の印鑑入れは、バッグに入れていつも持ち歩いています。取り出すたび、その手触りの良さにご機嫌になれるのです。※不退転(ふたいてん) 『信念を持ち、何事にも屈しないこと』 ・・・コトバンクより
「甲州印伝」 山梨県公式ホームページより引用
甲州印伝は、鹿革に漆で模様を付けたものが特徴で、この革を使って様々な製品を作っています。
日本の革工芸の歴史をたどる、奈良時代に遡ります。革を染める・模様を描くなど、いろいろ な技法が考案され、また外国より伝搬されてきました。甲州印伝の特徴の一つである鹿革は、体になじみ、強度を備えていることから武具にも盛んに使われており、戦国時代には、燻(ふすべ)や更紗(さらさ)技法を用いた鎧や兜が武将たちの勇士を飾ってきました。
印伝の由来は、寛永年間(1624~1643年)に、来航した外国人により印度(インド)装飾革が幕府に献上された際に名づけられたと伝えられています。その華麗な色に刺激されて、後に国産化されたものを印伝と呼ぶようになりました。貞享二(1685)年刊の京都の地誌である『京羽二重』や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(1802年)のなかに「印伝」の記述があることから、江戸時代には各地で製造されたものと思われますが、現在、製法が伝わっているのは、甲州印伝のみです。
甲州印伝の起源については、1854(嘉永七)年、「甲州買物独案内」に記述があることから、江戸末期には産地が形成されていたと見られています。明治期になると、信玄袋や巾着袋等が内国勧業博覧会において褒章を得るなど、山梨の特産品 としての各個たる地位を築きました。 また、大正期にはハンドバック等も製作され製品も多様化し、現在に至っています。
●漆模様づけされた柔らかく丈夫で軽い鹿皮でできた袋物は、使い込むほど手に馴染み、愛着が増します。また漆は時がたつほど色が冴え、深みのある落ち着いた光沢になってきます。
◇当該情報に付き、反響が寄せられました
⓵甲州印伝の情報を頂きましたが、昔、東京支店に勤めていた時、出張先の甲府で鹿皮の財布(甲州印伝)を買い求めたことを思い出し
ました。宿泊した石和温泉の旅館で買ったものです。もう50年も前の話です。懐かしい思い出です。
人とエゾシカとの共生を訴えているエゾシカ倶楽部としては、鹿に関するあらゆる事象が活動の対象となると思います。この意味で甲州
印伝に着眼され記事に取り上げたことは、素晴らしい感性で感服しました。
これに類する事象は、日本国中を探せば、まだまだ、あるかもしれませんね。素敵情報、有難うございました。(法元盛信)
②トンボの素敵なブローチを身につけている人がおり、外国ではとても縁起物として人気があると聞いておりましたが、ルーツは
戦国時代の武将の勝ち虫から来てたのですね。勉強になりました。これから心がけて身につけたいと思います。(吉田陽子)