◇シカが増えればヤマビル増加!平成の丹沢で驚愕!


                    2016.11.22 学習会より


      公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイド 坂野一郎


坂野一郎氏
坂野一郎氏

東京都心から西へ約50kmの距離にある丹沢は、東西40km南北20kmの山地で、最高峰は標高1673mの蛭ヶ岳(ひるがたけ)、1500mを超える山は9座を数え、山地名になっている丹沢山は標高1567mで7番目の高さになります。東京、横浜、首都圏から至近距離にあり交通の便も良いことから登山者には大人気の山です。丹沢のタンとはもともとは谷という意味があり、尾根に喰い込んだ急峻な谷は滝が連続し“沢登り”の対象となる沢が多いのが特徴で、国定公園(丹沢大山国定公園)に指定されています。 私は高校に入学した直後から丹沢に通い始めました。親しい友人や時には大勢のクラスメートを誘って尾根を歩きました。大学に入学すると沢登りにも目覚め、河原にテントを張り連日沢に入っては滝登りのスリルを味わい、出合いの小さな岩壁で見よう見まねの岩登りに興じました。丹沢は若い頃の私には、奥多摩、八ヶ岳と共に最も慣れ親しんだ山域の一つでした。


台湾出身の歌手・欧陽韮韮の「雨の御堂筋」がヒットしていた頃と記憶をしているのですが(昭和46年頃か?)、主峰丹沢山の山頂で、野生のシカに遭遇しました。それまでは、犬猫以外の動物は動物園でしか見たことがありませんでしたので、こんなに間近で野生動物に出合うなんて・・・“マジカ?!”。そのシカは山頂付近に住み着いていて登山者にも慣れ、始終山頂付近に姿を現し「タン子ちゃん」という愛称で呼ばれていました。その時はとても可愛らしく思えたのですが・・・。


山岳研修センターから 大倉のつり橋と丹沢の山並みの遠望
山岳研修センターから 大倉のつり橋と丹沢の山並みの遠望

そろそろ仕事を引退しようと考え始めた頃、「退職をしたら、趣味の登山の仕上げとして、“プロガイド”を目指してみようかな」と考えるようになり、昨年4月無事に退職をした翌日、プロガイドを目指す計画を実行に移しました。プロガイドになるには、日本山岳ガイド協会の認定を受けなければなりません。そのためには養成講座や実技講習を受け、幾つかの試験をクリアする必要があり、長野県や首都圏を何度も往復をしなければならず、丹沢には3回も通うことになりました。30数年ぶりに訪れた丹沢は、それは大きく様変わりしていました。慣れ親しんだ丹沢登山の玄関口“大倉”は立派な自然公園へと大変身、ビジターセンターを中心にバーベキュー広場や散策路が整備され、大倉を流れる水無川本流には立派なつり橋が架けられ、対岸にはクライミング壁まで備えた県立の山岳研修センターが建てられていました。


丹沢・大倉の猿のいたつり橋の写真。遠方の山は丹沢。
丹沢・大倉の猿のいたつり橋の写真。遠方の山は丹沢。

つり橋を渡りかけた時でした、橋の中間付近に人だかりができていて、何だろうと近づいていくと欄干に張られた転落防止用の金網に猿が真っ赤な顔で歯をむき人間を威嚇していました。本州の観光地で、野生の猿が観光客を威嚇をしたり悪戯をして問題になっていることはテレビニュースなどで知っていましたが、実際に野生の猿を見たのは初めてでした。目を合わせないように、平静を装いつつ全神経は金網の猿に集中していました。無事に橋を渡り終えたときは緊張から解放され全身の力が抜けました。平成の丹沢は、人里にまで野生の猿が出没する環境へと変わっていたのです。翌日、実習登山で山に入ると今度は“ヤマビル”が、登山者だけではなく山麓に生活をする住民をも巻き込んでの大問題になっていることを知りました。


ヤマビル
ヤマビル

ほとんど登山者が通わなくなった古い登山道での地図読みやガイディングなどの実習登山を終え林道に戻って来ると、教官から「ヒルチェック!」の声がかかりました。教官も生徒も林道に座り込み、登山靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンをまくり上げ、ヒルが付いていないかチェックをしました。結局ヒルの被害にあったのは主任教官一人だけでしたが、強者の主任教官が気持ち悪がり慌てている姿がなんとも印象的でした。ヤマビルは雌雄同体でシカやイノシシなど動物の血液を吸って成長、産卵をします。吸血から産卵、ふ化までは約2か月で、8~72匹の子ビルがふ化をするそうです。気温が25度以上で雨の降っているときなどに動きが活発になるのだとか。シカやイノシシが増え過ぎたことや、地球の温暖化も影響し、丹沢のヤマビルは相当深刻な問題になっていました。


大学時代の仲間と丹沢で ロッククライミングを楽しむ
大学時代の仲間と丹沢で ロッククライミングを楽しむ

丹沢のシカは、昭和20年代後半の狩猟解禁で一度は絶滅寸前となりましたが、その後一転して保護のために15年間禁猟にされました。また、戦後の造林事業により広葉樹林が伐採された結果背の低い草地が出現し、シカに多量の植物を供給することになり、シカの増加に拍車をかける結果となってしまったそうです。今は、シカ柵を設置し、木の幹を保護するために金網を張り、シカの食害から山を守ろうとしていますが、実習登山で入った山中のいたる所にシカ柵が設置されていて、ため息をつきたくなるような風景でした。一方ヤマビル対策として地元の秦野市は、補助金を捻出し山麓の自治体や農業生産組合と一体となって草刈りや薬剤散布など環境の整備活動を行っているそうです。


昔、丹沢の沢で共に滝を登り、八ヶ岳の雪に埋もれたテントで共に年を越し、還暦を過ぎた今も大雪山の奥深い沢を遡行し、八ヶ岳や剱岳の岩場でザイルを組む、学生時代の後輩で古き良きザイルパートナーがいます。彼は静岡県の南アルプスの麓に住む優秀な登山ガイドで、実は私が登山ガイドを目指したのは、彼の活躍振りに刺激を受けてのことでした。その彼は登山者だけでなく、シカ柵が雪で潰されないよう、春の雪解けと秋の降雪前にシカ柵を設置し又解体する作業の監督責任者である環境省の役人の山案内もしているのだとか。 登山ガイドの仕事はクライアントの依頼を受けて山を案内することですが、シカ柵絡みの山案内の依頼だけは歓迎できません。そのような依頼が来ない状況に早くなってほしいものです。